2009年10月10日

「少年とオブジェ」 赤瀬川原平

Photo

絢爛たる世界を紡ぎだす久生十蘭を信奉する方たちを「ジュウラニアン」と称するそうだ。
とすると私は「ゲンペイアン」かな。お菓子みたいですね。

あまたある赤瀬川さんの著作の中で、この「少年とオブジェ」は、ゲンペイアンの私の中で、常に上位にあります。
数年に一回は読み直したい本で、読むたびに、「なるほど」と発見・納得するのは、やはりこれがエッセイだからですね。小説を読んで、「なるほど」 なんてけっして思いませんから。
でもちょっと待てよ、原平さんの小説は、なるほど、と思ったりもする。やはり氏の作品には一種独特の味わいがあるのでしょう。

今回の読みなおしでは、原平さんは昔っからエコだったんだな~、と納得。そう、「超貧乏ものがたり」という著作もあるくらいですから、筋縄入りのエコ、なんですね。
この作品は、終戦前後の少年の暮らしが主題のひとつにもなっており、ホントに日本人はどん底から出発したんだ、と、戦後生まれの私、改めて思いました。

また子どもの「感覚」のルポみたいでもあります。ルポはルポなんですが、消しゴム、蛇口、雑巾、割箸、ラジオなど、(少々レトロっぽい)モノにまつわる記憶を、淡々と積み上げています。(私は「電球」とか「蛇口」とか好きですね。)

赤瀬川さんは美術家で芥川作家でもあり、千円札、カメラ、トマソンや路上観察・・・と、マルチな活躍ですが、とらえている範囲が広いというよりも、強靭な鉄棒みたいな核があって、それが変幻してその時代ごとに鉄筆みたいな絵筆となって、必要なことがらを描き出しているかのように思います。
その核は、もちろんこの本にも表出しています。あ、でも、さすがに「老人力」は含まれてないです。なんせ、テーマは「少年」ですからね。

一語一語、言葉のピースがとんとんと積み重ねられていく、赤瀬川原平さんのエッセイ。
その世界は、文字通り、言葉で作り上げたオブジェみたいです。
ちょっと長くなりますが、引用させてください。
「・・略・・消しゴムは鉛筆の線を消すためのものであるが、もう一方では自分自身がこの世から消えてしまうから消しゴムなのである。自分自身がすり減って粉となり、その粉がありったけの媚態をつくして鉛筆の粉に粘着し、キリッとしていたつもりがつい一歩足を踏み外したという鉛筆の線を、そのままズルズルと連れ去って、忘れものの嬌声渦巻くキャバレーのドアの向こうへ消えてしまう。つまり消しゴムをゴシゴシやってフッと吹くと、消したものはその息に飛ばされてなくなってしまうのだけれど、それが鉛筆の線だけでなく消しゴムの粉までも・・・。」
ああ、おもしろい。
この本は、この本について書くより、読んでいる方が絶対おもしろい本なんだ。
 と、ゲイペイアンは、またまた発見・納得してしまいました。

Back to top