2010年2月13日

「シベリア物語」 長谷川四郎

シベリア物語

 

冬の季節に入ってから、ずっとこの本を読んでいた気がする。繰り返し読んでも、飽きがこないのだ。どうしてだろう。

はるか遠くのロシアという国、そして65年前の戦後の時代、「捕虜」という名称、立場も、すべて未知のことばかりなのに・・・。

今日は雪も降って、東京もとっても寒いのだけれど、この「シベリア物語」の中では馬の鼻汁が棒状に凍って、“ポキン”と、折ってやらなければならないほど、寒いのである。冷えているのである。食べ物ももちろん乏しくて、仕事も楽ではない。いったいいつ、日本に帰れるかどうかも分からない日々。捕虜の「ヤポン」たちは、ときどき、故郷の料理の話などをして心の暖をとったりしている。

この前まで読んでいた、ル・グウィンの「闇の左手」は、惑星<冬>が舞台のフィクションだったから、もちろんそれはそれで寒かったの゛だが、その寒さは頭の芯が冷えるような感触だった。そしてこちらはフィクションではなく、本当にあった出来事である。体験者である長谷川四郎さんが当時のことを後に記したのである。

おそらく、その記し方が、何回も読みたくなる理由なのだ。

五年間にわたる捕虜生活を記されているが、それはドキュメンタリーではなく、手記でもない。

すべてに平等な眼を持ちつつ、捕虜であった「私」の視座も省かず、外観から内を見ようとした。これはロシアという国ゆえかもしれない。

「シベリア物語」は、一人のロシア文学者が、ある冬の時代の歴史をとどめた偉業だと思う。

これからもまた、何回も読み返すことでしょう。夏になっても冬の静けさを忘れないように。

冬という季節は、ストイックに、淡々と過ごすのが一番なのだと思いました。今という時代も、ある意味できっと冬なんだと思います。出会えてよかった一冊です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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