2012年1月20日

アントニオ・タブッキ 「遠い水平線」 須賀敦子・訳

 

遠い地平線
旅に出たいが、行けないとき、タブッキに惹かれます。    

 

この小説を読むこと自体が旅なのだ。

名作「インド夜想曲」の次に、須賀敦子さんが訳した第二弾。

 イタリアらしい国のどこかの港町。主人公はスピーノという男。

彼が捜索することになるのは、ある男の死にまつわる謎。

短い文章の集まり。

並列されているかと思えば違い、繋がって進行していると思うと、それはまた違う。

すべては謎。なにも解決しない。

 

登場するのは、気持ちの良い昼、夜。中年の仲の良い男女。

波止場、息遣い、二人の時間、石畳、路地、古い店、

酒場や事務所、アパートの部屋、、広場、そして海が見えてくる。

風景が、なによりもものをいうのだ。

しかし時折、まるで人が存在しなくなった後の景色のようにも思えてくる。

 

 

〈たとえば、晴れあがった風の日、あたたかい南西風が吹くまえの潮風が、はりつめた帆のように、ちいさな破裂音を立てながら、道路を吹きぬけていく。そんな日、家々も教会の塔も、コントラストの強い写真のように輪郭がはっきりしすぎて、あまりにも現実的に露出してしまう。光と影が、交わりを知らぬまま、強引にせめぎあい、細 い道路や広場に、黯い影の部分と、眩しい光の部分にわかれて、白黒のチェス盤を描き上げる。〉

 

歩き続けるスピーノの体験は、読んでいる者にもリアルな体験となって息づいていく。

いつまでもいつまでも、この世の終わりまで何回も読み続けて、

最後に残るのは、結局、読んでいる自分なのだ。

 

 

風景はすべて美しくミステリアスだ。うっとりとしてしまう。

なにも解決されない。ただ提示される。ものすごく繊細な神経で感受した世界のできごとを。

 

世界はあやふやで、奇天烈だ。

どうしようもなく喜劇的で悲劇的なありさまの中の、叙情と真理を探して歩き続ける人生のような旅の道。

 

この小説で私たちは、果てしのない旅をすることができる。目的のない最高の旅だ。

 

 

やれやれ、この小説の影響で、この文章まで、水平線に消えてしまいそうなものになってしまったな。

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