2009年11月17日

「発火点」 桐野夏生対論集

発火点

桐野夏生の小説にはいつも“肉体”がしっかりとある。だからなのか、体力がないと読めません。やっと登場した満足できる“女流“!作家さんですが、最近体力が減退しているのでちょっと敬遠していて、その代り、こんな「対論」集を読みました。対談に於いても、やっぱり桐野さんは肉体派でした。同世代に、そして同性に、こういうカッコいい作家さんがいて嬉しいです。
ここでは引用を並べておきます。テキトーな選択です。

「…小説家って傲慢だと思いませんか? 何が一番傲慢かというと、言葉によって全部表せると思っていることが傲慢なんじゃないかなということなんです」

「…アフリカや南米の一部では、悲惨なんてものではない。アメリカに行ってわかったんですけれども、今の文学というものが、結局はそういう貧乏な人たちあるいは貧乏な国を踏みつけにしたところで成り立っている芸術なんですね。私の本もアメリカで出版されていますが、自分たちで作らなくてもいい、極東の国から激しいものがやってきて、なにか激しいものを読みたいという気持ちを満足させられればいいと、という意味で文学資本主義の中に合致させられているわけです。それを認識したときに、「ああ、虚しい」って思ったわけ・・・・・」

「今は文学が何かに合致して、それが資本主義のマーケットにはまっていくわけですね。そうすると、私が今までジャンルを蹴って、自由になりたいと思っていたものがまた別のジャンルを作るってのが、何かもう、すごく虚しい」

星野智幸「桐野さんの」世代の、特に男の作家は、相対化ができなくなっているのではないかと感じることが多いのですが・・」 
桐野「それは老化ですよね、劣化(笑)。文学って相対化しながら細分化するんだけれど、なにか相対化を忘れて細分化していく運動があるでしょ」

「文学の迷路に入るとわりとダサいことになるんですよね。相対化が。だから細分化でいくというところがありますよね。だから敢えてダサい道を行かないといけないの。本当に」

「・・・だから戦争状態はそれぞれの人にあるということを考えるのが相対化なんですよ。結局は。それは小説の真髄ですよね。」

桐野夏生さん、村上春樹ファンだったですよね。

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