「私はフーイー」 恒川光太郎
雑誌『游魚』の寄稿文でとりあげた作家、恒川光太郎さんの新刊が2012年末に出ました。
感想を書きましたので、ちょっと長めですが、 2013年新年のご挨拶としてアップします。
メディアファクトリー刊 2012 11.30発行
1 パステル調の沖縄
恒川光太郎さんの新刊「私はフーイー」(メディアファクトリー刊)。サブタイトルは「沖縄怪談短篇集」です。
かつて私が抱いていた沖縄のイメージは、サンゴの島、基地の島、芸能の島、の三つでした。
それに、「怪談」の島、が加わりそうです。
ところで、昨年11月、本六主催の≪café本の扉≫に、写真家の中里和人さんと建築家の山崎哲哉さんに来ていただき、風景、建築、空気などについてのトークを開いたのですが、沖縄の風景についても話題に挙がり、スクリーンで中里さんの写真を拝見しました。
印象的だったのは沖縄の街の風景。
ゆらゆらと淡い色合いで全体が覆われたような風景写真はちょっと異国的でした。
中里さんの撮られた沖縄の風景のように、トーンが自然に統一されている街並みは、ギリシャ、アンダルシア地方、ライン川沿いの地域などで見てきましたが、我が日本、本土には少ないと思います。
そして、〈沖縄の建物の色はパステル調〉、という中里さんの指摘はとても興味深かったです。
沖縄に年に1、2回くらい訪れていたころには無かった本島のモノレール、「ユイレール」が完成して、初めて高い車窓から眺めた町は、四角い建物が印象的でした。
堅固な柱に支えられた広い2階のベランダは、家族が増えたとき部屋を増設するのに便利だからという説明を受けたように思います。堅固な造りは台風の猛威に対処しているのでしょう。
そして白っぽい煤けた感じの壁は、台風の通り道の島ゆえ、風雨に晒された浸食によるのだろうとずっと思っていたのですが、それこそは、中里さんのおっしゃるパステル調なのでした。
整然とした風景へと脚色する淡色は、芭蕉布の色調を連想させました。
2 沖縄怪談 芭蕉布系と紅型系
表題作の「私はフーイー」には、50年ごとに転生する女性、フーイーが登場します。
幾度も蘇ることにまったく不思議を感じさせない。そうだろうなぁ、と簡単に納得しまう私にはあまり「怪談」にはな
その他の「月夜の夢の、帰り道」、「幻灯電車」も、淡々と綴られた運命譚のようですが、その結末のその先に、さらなる世界が広がっているだろうと思わせて、誘う力があります。
それは、恒川さん独特の淡色が、濃厚に存在しているといってもいいかもしれません。
糸さえ作ればどこまでも織りつづけられる芭蕉布のような小説世界。
だから、こちらを、芭蕉布系怪談と名付けたい。
他の作品、「弥勒節」、「クームン」、「ニョラ穴」は、陽光鮮やかな妖しさと怖さを持っています。
たとえれば、沖縄の「紅型」模様の特徴である、くっきりとした輪郭がある。
したがってこちらを、紅型系怪談としましょう。「南の子供が、夜いくところ」にもこちら的ですね。
どちらにしても、海の向こうから突如としてやってくる怪談もあれば、海へと去って消えていく怪談、無念を遺し漂っている怪談もある。
それらが混然一体となっている、「沖縄怪談短篇集」。チャンプルーなのがとっても沖縄っぽいです。
ちなみにこれらの初出は、雑誌『幽』 (メディアファクトリー刊)です。最新号の特集は、<沖縄怪談大全>。恒川さんも登場しています。ので、沖縄好きの方にはそちらもぜひおすすめです。
3 「北風伯爵」
せっかくだからここでちょっとまわり道します。
2008年刊行の『草祭』(新潮社刊)所収の「秋の牢獄」は、11月7日を繰り返す「リプレイヤー」たちのお話でした。
彼らは「北風伯爵」という不気味なものに襲撃され、一人ずつ消えていくのでした。
雑誌『游魚』に寄稿した「孤児からの出発—恒川光太郎のファンタジー」で、私は次のように書きました。
〈 (リプレイヤーたちに) 明日がないということは、死んでいることと同義語なのではないでしょうか。未来の予測ができないならば、北風伯爵に襲われての死は、むしろ救済かもしれない、それは仲間の一人が想像したように、11月8日へと続く〈扉〉かもしれない。〉
先日本屋さんで見つけたのですが、この「秋の牢獄」を、昨年末に刊行された『時間ループ物語論』(洋泉社刊)で、評論家の浅羽通明さんが取り上げていました。第1章の「オリエンテーション」では、この作品を「精読」されています。
浅羽さんは、3.11によって、〈 晴れた一日 (註:「秋の牢獄」で繰り返される11月7日)
のような、この平穏が無事に続く保障はない。つまり「この世界は安全ではないと知ってしまった」のでは
〉、と述べています。現在の日本の隠喩のように捉えられるという指摘です。
また、「秋の牢獄」中、北風伯爵の到来を主人公の藍が、「ジェット機の速さで迫ってくる高さ500メートルの津波のようなものだった」と描写している一文をとりあげ、〈偶然とはいえ、作家のこの予言力には舌を巻きました〉と述べています。
〈我々が人生や世の中と立ち向かうにあたって、問題を明晰にし、論点を具体的な形で現前させてくれるツールとして、「物語」は知られている以上の力を蔵しているのではないか〉とあとがきにあります。興味がある方はどうぞあたってください。
私は小説を「ツール」としては読めませんが、小説とは、もちろん大したものであり、当然のことながら、作家は意図なく予言をするものだと思います。
4 「夢」をかたちなす
沖縄のビーチでも、下田の弓ヶ浜でも青森の種差海岸でも北海道の石狩湾でもどこでも、私たちが「海」に向かって立つとき、そこに水平線を認め、その向こうには見えないけれども無数の島、大陸、さらに未開の陸地も続いていると認識しています。
舟を漕ぎ出し、どこまでも一直線に進んでいけば、ずっとずっと先へ行けば、やがては私たちの背後へと辿り着くはずです。そうです。地球は丸いからね。やがては此処に戻ってくるのです。
照屋林賢さんの言葉だったか歌詞だったかで、「海はつなぐもの・陸は隔てるもの」、という文章を読んだことがあり、忘れられません。なるほどです。
芸能により世界と繋がっていた沖縄は、同じ島国の日本本土と対照的に、非常にオープンな開かれた国だったのでしょう。
海に境界はない。領海は便宜的に人間が作った境界。さらに海と空も、仕切られるものではない。夢では繋がっている。
そのようにして、沖縄の恒川さんも夢を漕ぎ出していく。
漕ぎ出す海には波が毎日毎秒、寄せては返している。その波に乗り海の向こうへと。
夢を見る主体は自身なのだから、それもまた自身の一部であり、真実なのではと思ったりもします。ただし、アントニオ・タブッキの「インド夜想曲」のように、一周して自分の鏡へ辿り着く夢ではなく…。
では、夢はどこへ行くのか。
「夢は力であり、その力が成長する植物のようにかたちをなしていく、そのプロセスそのものにほかならない」(「華やぐ夢見」中沢新一『夢のかたち』澁澤龍彦編・河出文庫)。
そして「夢をみているという夢をみるとき、われわれは目ざめに近い」とノヴァーリスは書いています。(同上)
恒川光太郎は夢をかたちなす作家といえましょう。
また、作家、大野更紗さんの書評に、次のような一文が紹介されていました。
「回復とはある地点に到達することではなく、むしろ変化しつづける過程そのものを指している」(『その後の不自由—「嵐」のあとを生きる人たち』上岡陽江・大嶋栄子著より・読売新聞’13年1/6掲載)
タイトルに「夢」の文字がある作品、「月夜の夢の、帰り道」で、主人公の大場彦一の生きる困難と不可思議 (=怪談) を読むことは、その〈過程〉を共有することになります。
また、天に選ばれた特別な女性フーイーの数百年に及ぶ転生は、「私はフーイー」が終わっても、さらに現代まで閉じることない長い長い〈過程〉なのです。
「月夜の夢の、帰り道」には、「北風伯爵」的なものを断固拒否し、「そんな風にはならない!」と跳ね返す、生きの良い勇ましいものたちが登場します。
拙文「孤児からの出発」を読まれた方が、恒川ワールドにはまってしまったという話も伝え聞きます。嬉しいです。
その方たちのために、読んでのお愉しみにしておきますが、夢の「帰り道」に、恒川さんが仕掛けた、進化している「夢の力」を見たように私は思いました。
・さいごに
恒川さんは他の移住作家さんたちとは異なり、ホラー大賞を受賞されデビューする以前からすでに沖縄に住んでおられた。なんとなく住みやすいかも、という感じだったのではと想像します。
沖縄という島々じたいが汲めども尽きぬファンタジーアイランドなのですから、沖縄を格別前に出さずとも、既刊『南の島の子供が夜いくところ』のような作品をこれからも送り出されていかれることでしょう。
また、10数回ではありますが、沖縄を訪れた私としては、その地らしいユーモアを文中から時折感じるので、愉快なお話も書いてほしいと思ったりもしています。
・・・文中に、取り上げた本の一部です。・・・