2010年3月23日

「 文学の門 」 荒川洋治

文学の門 文学

しばらく、この「本六の一冊」を留守にしていたら、だんだん書きにくくなってきてしまった。できれば忘れて無いことにしてしまいたい、くらい、メンドウになってしまったのですが、こんなことではいけませんね。いったん始めたことは、最後までやりとおすのが誠実ってもんだ。しかし、「最後」って何だろうか? 本が読めなくなるとかでしょうか。本がすべて売り切れになるとか。古本屋を閉めるとかか。それはともかく、メンドウな理由の一つは、最近は読む本の方向性がでたらめになっていることもあります。そしてまた、実は読みたい本があるけれど、それが入手困難ってこともありますが。

興味のあることは自然にひとつひとつずつ、数珠つなぎにバトンタッチしていくものです。読了した一冊の本は、なにかしらの縁で次の本を紹介して去っていくものです。しかし、毎日、なんやかや物事が勃発したり、確定申告が迫ったりしていくうちに、本の数珠はばらばらに外れていってしまう。ガクリ・・。

そんな時私は、夜の本屋の、新刊台に向かう (時間があればの話ですが) のです。そして、なるべく嫌みな感じのない、安定した本を選びます。

私は、読書はどちらかというと、「読むのがタイヘン」な、考えながらじゃないとなかなか読めないものが好きです。レベルアップできるかも、と幻想を持つシロ―トの浅はかさからですが。だってそうでしょう。なるべくいろいろなことを知りたい、気付きたい、分かりたい、短い人生のうちで。そのためには未知のことばかりのことが書いてある本がいい。いかめしく難解だけれど、気はいい、いつも一緒にいてくれる師のような本です。

この本は、そんな「師」っぽいかな。著者の荒川洋治さんが高校の現代国語の先生だったら、最高でしょうね~、とか思いながら読みました。この本で一番、「ふむ」と思ったのは、「文学者」という言葉でした。最近、あんまり使われないですね。明治末ころに生まれた伊藤整、高見順など、とても印象的な大御所です。「文学者」は作家ではないんです。文学史も批評、文学論、作家論ももちろん。翻訳なども。オールマイティ。

そんなことで、伊藤整の「文学入門」を、数珠つなぎで次に買ってしまいました。光文社のカッパブックス第一弾(昭和29年刊)で、ベストセラーだったんですって! びっくりしたなぁもう。こんな難しい評論を、当時の国民はみんな読んでいたのか。それに引きかえ、現代って、レベル低くないか? あ、低いのは私の頭だけですかね。一方、ちょっと高過ぎませんか、講談社文芸文庫金1300円也。内容が濃いから仕方がないかな。

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