2010年2月17日

「海」 1980年6月号 ( 中央公論社刊 )

海

シベリアさながらのこの寒さにはいいかげん、厭きてしまいました。こういうときは、テキトーな雑誌を意味なく見たりしていると和みます。

ところでみなさん、なぜかいつまでも手元に残ってしまっている雑誌はありませんか。大切にしているわけではないのに、そこらへんの棚の本の間にいつまでも存在している。そこには、何らかの理由があるのでは?  と、ふと、眼に留まった「海」(中央公論社刊) を開いて、検証してみました。

うふふ、ちょっと最近、古本屋のブログっぽくなってきましたね。古い本を取り上げているからですぜ。 あ、ちょっと話がずれてしまいました。すいません。戻します。

1980年6月号の「海」には、尾辻克彦さん、椎名誠さん、武田百合子さん、と、そのころお仕事で関係していた作家さんの作品が載っていましたが、でも、それがこれを捨てなかった理由ではないでしょう。すべての作品は単行本になっているはずですし。

しかしながら、こうしてよーく見てみると、「海」っていうのはなかなかの雑誌だったんだな、と納得。ロラン・バルトの追悼特集では、蓮見重彦さんが批評を書いてたり、吉行淳之介さんが「好色一代男」を訳していたり、田村隆一さんの詩も載っていたり。そのころぴかぴかの働き盛りの作家さんがいっぱいです。よく理解できない高踏的な雰囲気もあるし、当時まだ20代の私が、なんとなく憧れていた文芸誌だったことということも、もしや考えられなくもありません。それが、捨てられなかった理由かも・・・。 かなぁ? たぶん、偶然残ってるんでしょう。

さてしかし、実のところ、私がこうした古い雑誌を広げたくなるのは、その頃の本の広告などを読むのが楽しいからなんです。カンノン扉の目次裏にあるでしょ。一ページ四つ掲載してたりしていますよね。

一方、大判のグラフ雑誌は、まるごと雑誌そのものが情報なので、こうした快楽の度合いは低めです。デザインとか、まいっちゃうような素敵な雑誌がありますが、そういう意味ではだからあんまり惹かれません。

古雑誌のでも、本の広告を読むと、つい欲しくなってしまいます。もう、絶版になっている本が殆どかもしれませんが。ネットとは異なり、このように刷りものというものは、その記事だけじゃなくて、当時の状況や雰囲気を、すっと伝えてくれるんですね。価値あることです。

本六にも、古雑誌がまた少し入荷しています。他の雑誌も、時々開いて、楽しみましょう。

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