2010年1月16日

「美の世界 愛の世界」 佐藤春夫

美の世界

入口は狭いのに、どこまでも続いている商店街を、とぼとぼと歩いて行くような読書ができます。どこにつづいているのでしょうか。現在にいたるまでに、どこかで今はちょっと途切れているような、そんな感じもあります。

佐藤春夫は芥川龍太郎などと同世代の詩人・作家ですが、この本は、昭和36~37年の一年間、朝日新聞の日曜PR版に掲載された「美の世界」と、翌年から週刊で同新聞夕刊に連載した「愛の世界」を合体したエッセイ集です。サブタイトルの「四季のうた 恋の歌」は、文庫編集部が付加したらしいですが、佐藤春夫が生きていらしたら嫌がるかもしれませんね。

万葉集、古今集から、芭蕉、子規、島崎藤村、與謝野晶子、漢詩、訳詩・・多種な分野からの詩歌が100以上、収められている「初級詩歌入門書」アンソロジーでもあります。佐藤氏の好みで選ばれているわけで、晶子、芭蕉、蕪村、藤村など何回も取り上げられて、バランスなどより作品本位なところが信頼できました。さすが佐藤春夫です。

これを読んでいて、日々、日本語しか喋っていない、しゃべれないのにもかかわらず、その言葉に無自覚になっているとつくづく感じました。これじゃいけない。ちょっと私も考えなくてはね。言葉数が少ない短詩型は、一語一語の密度が濃く、奥が深いのでした。今後、少しは感覚を研ぐことにしたいです。

誰でも知っている、「目に青葉山ほととぎす初鰹」 (山口素堂) は、「初夏の三名物」を、視、聴、味(目・耳・舌)の三感覚から選んで並べただけなのに、「はでな立縞を見るような、くっきりとこだわりのない単純な美しさ」で、だれにもわかりやすい作品だそうです。いわく「素朴に最高」。これですね。「俳諧は大衆の文学」ということで、その見本のような名作なのでしょう。

「さみだれ」つながりの句として、芭蕉、蕪村、子規の4作品を挙げています。「さみだれ」+「の」「や」「に」。趣の違いがよくわかりました。「さみだれのふり残してや光堂」、名句です。

作者はいろいろな勘違いをして、読者やしりあいから指摘を受けていますが、川路柳虹の歌謡風の小曲を、「やっと思い出して」「自分で創作してつけたものではないかという疑いがないでもない。」と記しつつ新聞に掲載してしまう豪胆さ。末尾の「君をおもうてうわのそら」以外は、殆ど勝手に作ってしまっている。それでも良かった時代なんだな。今だったら、タイヘンだぞ。作家だから佐藤春夫だからそれでいいのであって、訂正話から、またどんどん広がっていくのも面白いのです。新聞連載中の挿画、見てみたいと思いました。

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