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2014 – SPRING

[ふきんの女王 幸田文] 文京ゆかりの作家と風景1 -

 

 

 

文展

かれこれ20余年前、幸田文さんの作品をたくさん読んでいました。

平成2年の没後に著作も、続々刊行、全集(‘03~)も編纂されていたのです。

それからこれまでの間、私は再読する時間もなくこれまで過ごしてきましたが、お客さまから「幸田文展」のことを聞いたことから、懐かしさに心惹かれて世田谷文学館へと、最終日に出かけてきました。

再び相見えた幸田文さん。普遍的なものは常に新しいのだと感じ入りました。

 

話は変りますが、去年(`13)ノーベル文学賞を受賞、本屋さんの目立つ場所に現れてきたアリス・マンロー。

初期の作品は、文さんと同様に〈主婦〉という立ち位置が生かされています。とっつきは家族内小説のようで、つい引き気味になりますが、実はそこで描かれているのは徹底した〈個人〉。じわっとスリリングな展開は短篇の魔力に満ちており、ラストは、<そこから先はご自分でお考えなさい>とばかりに、すっと離れていく。

そんなアリスさんを私は「余韻の女王」と呼んでいます。

 

一方、日本の幸田文さんは小説、エッセイ、とジャンルが広範囲です。

絶えない好奇心は科学の匠から自然の驚異へと亘り、歯切れ良い緊密な言葉で刻まれています。どれをとっても、しっかり、〈記録文学〉です。

アリスさんとは異なり、文さんはすべて説明してくれている。

主旨を読み取れないのだとしたら、その人が日本語をよくわからないからだと言ってもいいのではないでしょうか。

 

「余韻の女王」の文学は日本語に翻訳できますが、幸田文学は他国語に翻訳するのは難しいかもしれない。

その硬質なこだわりは、ちょっとやそっとでは身につきはません。20世紀を踏みしめてきた、女性作家の大いなる足跡です。

 

さて、会場には作品から抜粋された文章がパネルに掲げられていました。

印象に残ったのは、「些細なことでも一生かけてやりとげる」ことを勧めている文章でした。

文さんご自身は「台所のふきんをきたなくしておかないこと」を、ずっと続けられていたそうで、それは自分でも誇れるということでした。

 

生きることは食べること。ふきんは食の基調。命にまつわる道具を常に整えておくことは人生の大事業です。

芸術家であり生活者であり、リアリストだった文さんは、まさに「ふきんの女王」です。

 

展示されていた鉛筆書きの原稿には、消し跡、直しはほとんどありませんでした。     (「本6通信」編集発行人)

 

 

「 パリのプチ文庫 」 -

 


プチ文庫

旅先のパリの書店で、超軽量の文庫本を見つけた。日本の文庫本のほぼ半分の大きさ、手帳サイ

ズだ。“POINT2”という出版社から刊行されているシリーズ。カラフルな表紙の、かわいいプチ

本が回転ラックにずらりと並び、まるでファンシー文具みたいに楽しげなので、思わず手に取

ってしまった。ジャンルは古典文学、現代作家のミステリー、詩集から、パウンドケーキのレシ

ビ集のような実用書まで、多彩だ。

 

さっそく購入したのは、LEONARD PITT著「失われたパリを歩く」。

パリの街並みは、19世紀に行われたオスマン知事の大改造や、その後の再開発で大きく変貌した。著者は、古いパリが“破壊”される前の、中世の面影を残す路地や建物をとらえたアジェ、マルヴィルらによるセピア色の写真と、現在の様子を写したカラー写真を対比させながら、シテ島、サン=ジェルマン・デプレ、マレ地区などの歴史的街区の変化をたどる。

 

日本人の目には十分プチ2美しく映る現代のパリだが、実は趣のある界隈や建造物が、かなり取り壊されたのだと知って惜しくなる。失わ
れたパリの詩情を偲ぶ著者の思いが伝わってきて、単なる案内書とは違う味わいがある本だ。写真は鮮明で見やすいし、活字も小型本のわりには小さすぎず読みやすい。製本にも工夫がこらされ、本が開きやすいのもいい。充実した内容なのに、重さはわずか120グラム。ポケットに入れてパリの街を歩き回るのにぴったりだ。

 

この画期的なプチ文庫本のコンセプトは、オランダの印刷・出版業者が考案して特許を申請したのだという。持ち運びの便利さと読みやすさを兼ね備え、持っているだけで楽しくなる紙の本。当分、電子書籍は要らないな、と思う。                        (みなみ ゆみ 翻訳者)

 

 

「 CAST 」 -

 

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気づけば終電間際の時刻だった。俺は方向も ろくに確かめず、あわてて電車へ滑り込んだ。
乗客は一人だけだ。相手をちらりと見て、俺は動揺した。
白いトレンチコート、黒いハイヒール、灰色のレンズが嵌ったサングラス。
俺が創作している小説のヒロインと同じ容貌。
電車は突然停止した。次の瞬間明かりが落ちて、何も見えなくなった。
暗闇の中、かすかな衣擦れと共に、人が近づいてくる気配を感じる。
「あんた、何者だ?」
「知っているはずよ」
淡々とした口調と低い声は、俺の描写と一致している。
俺は不吉な予感にぞっとした。この女は、相手に顔が見えない状態で任務を遂行する。まさに今の状況だ。
「消えてもらうわね」
「……なぜ俺が殺されなきゃならない?」
「忘れたの? 私はクライアントの事情には立ち入らない主義」
そうだった。こいつは依頼主にあれこれ聞かず、ただ注文通りに仕事をする。情に溺れないために。
「遺言はあるかしら」
これも設定通りで、この女は相手の今際の言葉はきちんと聞くのだ。
「クライアントに伝えてくれ。近い将来、俺の出番を用意してくれと」
「一応伝えておくけれど、無駄でしょうね」
頭に押しつけられた硬い感触は銃口だろう。
トリガーが引かれる僅かな振動を感じると同時に、猛烈な熱さが身を貫く。
薄れていく意識の中で俺は、俺がつくった世界に不要とされた自分に同情した。
(中野昭子 ライター)

⦅本の思い出⦆ 阪上万里英 / 赤枝真一 -

 

[特集企画展開催アーティストさんに訊いた「本の思い出」      

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坂上万里英展 「彼らの覚えている夢」

 

 

・ 印象に残っている3冊の本。その理由も教えて下さい。
& 好きなアーティストも。

 

阪上万里英展「彼らの覚えている夢」

◆阪上万里英  SAKAGAMI MARIEさん

1 「ぼくは覚えている」 J・プレイナード小林久美子訳(白水社) 展示タイトル「彼らの・・・」はこの本からのイメージで決めました。

2 「十二の遍歴の物語」G・ガルシア=マルケス旦敬介訳(新潮社) この本に収録されている「光は水のよう」は、卒業制作を作るきっかけとなり、 題名にもなった大切な作品です。

3 「Art Forms in Nature」エルンスト・ヘッケル(日本語版は河出書房新社) 古本屋で見つけた洋書。生物の図版本。煮詰まった時はこの本を見ます。

・好きな芸術家・・・アレキサンダー・カルダー 昨年はよく彼の作品集を見ました。
大きくて動く作品を作るのは難しいですが、 そこに出来る空間は楽しく魅力的だと思います。

 

赤枝

赤枝真一展 「Magical Mystery Market」

 

 

赤枝真一展 「Magical Mystery Market」

赤枝真一 AKAEDA SHINICHIさん

 

1 「敦煌」 井上靖 (徳間書店) 物語だけでなく、口絵写真や表紙も含めて大好きな「本」だった。

2 「草祭」 恒川光太郎・・・新潮文庫(新潮社) 病気療養中にこの作者と作品に出会い、人生が少し変わったと思う

3 「本格小説」 水村美苗・・・新潮文庫(新潮社) 一生のうちに一つでも、このように深く心に刺さる作品を残したい。

・好きな芸術家・・・ペトルス・クリストゥス 初期フランドル絵画が好きで、
その中でもこの人の絵は欲しいと思う。 ちょっと変だったり親しみやすかったり。癖になります。

 

 

「本6通信」 2014.2.20刊  -

<編集後記>   1

阪上万里英さんが挙げた好きな本の一冊ガルシア マルケスの「十二の遍歴の物語」を訳された旦敬介さんに、かつて編集した『カリブの龍巻-ガルシア・マルケスの研究読本』で原稿を依頼しました。(当時旦さんは区内在住でした)その後、旦さんのお父様が父の古書店によくいらしていたことを、本六開店直後、たまたま懐かしんで立ち寄ってくださったお母様からお聞きしました。息子さんの訳した小説が阪上作品へのイメージへ。<時は繋がっている>と嬉しく思いました。<T>

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