ふみのほそ道(髙橋丁未子) 

[ふきんの女王 幸田文] 文京ゆかりの作家と風景1 -

 

 

 

文展

かれこれ20余年前、幸田文さんの作品をたくさん読んでいました。

平成2年の没後に著作も、続々刊行、全集(‘03~)も編纂されていたのです。

それからこれまでの間、私は再読する時間もなくこれまで過ごしてきましたが、お客さまから「幸田文展」のことを聞いたことから、懐かしさに心惹かれて世田谷文学館へと、最終日に出かけてきました。

再び相見えた幸田文さん。普遍的なものは常に新しいのだと感じ入りました。

 

話は変りますが、去年(`13)ノーベル文学賞を受賞、本屋さんの目立つ場所に現れてきたアリス・マンロー。

初期の作品は、文さんと同様に〈主婦〉という立ち位置が生かされています。とっつきは家族内小説のようで、つい引き気味になりますが、実はそこで描かれているのは徹底した〈個人〉。じわっとスリリングな展開は短篇の魔力に満ちており、ラストは、<そこから先はご自分でお考えなさい>とばかりに、すっと離れていく。

そんなアリスさんを私は「余韻の女王」と呼んでいます。

 

一方、日本の幸田文さんは小説、エッセイ、とジャンルが広範囲です。

絶えない好奇心は科学の匠から自然の驚異へと亘り、歯切れ良い緊密な言葉で刻まれています。どれをとっても、しっかり、〈記録文学〉です。

アリスさんとは異なり、文さんはすべて説明してくれている。

主旨を読み取れないのだとしたら、その人が日本語をよくわからないからだと言ってもいいのではないでしょうか。

 

「余韻の女王」の文学は日本語に翻訳できますが、幸田文学は他国語に翻訳するのは難しいかもしれない。

その硬質なこだわりは、ちょっとやそっとでは身につきはません。20世紀を踏みしめてきた、女性作家の大いなる足跡です。

 

さて、会場には作品から抜粋された文章がパネルに掲げられていました。

印象に残ったのは、「些細なことでも一生かけてやりとげる」ことを勧めている文章でした。

文さんご自身は「台所のふきんをきたなくしておかないこと」を、ずっと続けられていたそうで、それは自分でも誇れるということでした。

 

生きることは食べること。ふきんは食の基調。命にまつわる道具を常に整えておくことは人生の大事業です。

芸術家であり生活者であり、リアリストだった文さんは、まさに「ふきんの女王」です。

 

展示されていた鉛筆書きの原稿には、消し跡、直しはほとんどありませんでした。     (「本6通信」編集発行人)

 

 

[お茶とおせんべい] 文京ゆかりの作家と風景2 -

 

 

お茶の友セットラベル042

すみれ堂さん大阪屋さんの協力で作った茶菓子セットのラベル。 イラストは村田さん。デザインは栗谷佳代子さん。

2006年5月3日から「ヴァリエテ本六」はスタートしたのですが、この8年の間に、なんと両隣のお店が閉店してしまったのだった。(先隣りの古書店、宗文館書店さんも閉店)

両隣とは大阪屋茶店とすみれ堂本舗。

大阪屋さんは先代のお父様を継ぎ、すみれ堂さんは二代目のご主人を継いで、おふたりとも女性一人でお店をやっていた。

お茶屋さんとお煎餅屋さん。本六と同様、年代ものの店構えには、深い趣きがありました。

村田朋泰さんのユニークな個展「森川町H6書房の怪」(‘06)を開いた時には、両隣に協力していただき、開催記念の茶菓子セット<村田niconicoお茶の朋>、<村田torotorp酒の朋>を作って販売もしました。お茶パックとおせんべいを入れたセットは完売。懐かしいです。

 
お二人のことはとても尊敬していたので、その思い出は後日改めて。ここでは、お隣さんが扱っていた商品のことにふれます。

 

お煎餅とお茶…日本人だったらこのセット、おやつの必須アイテムでした。今はどうでしょう。必需品というより嗜好品に近くなり、「和風」とくくられてしまうかも。

どちらも保存はある程度効くが冷凍には不向き。コンビニでも必ず売っていますが、それらを「美味しいね」と素直には言えない。

 

数多ある「スイーツ」やペットボトルのお茶類が味気ないというのではなく、いろいろあるほど豊かだというのはちょっと違うのではないか。

レパートリーの果てしない膨張は消費者をつかむ攻略、選択肢が多い方がいいというマジックにみんな囚われ過ぎているのでは。

震災の時に美味しく食したのはお水とおにぎりだったのではないだろうか。

 

そうした、味をごまかせない貴重なものを、製造、調合して売っていた老舗専門店が、なぜ閉じてしまうしかなかったのか。

おそらくこれは、「ゆとり」の在り方に深くかかわる問題なのでしょう。

平成に入ってからも、ずいぶんと暮らしぶりは変っていっているのは確かです。

シンプルなものを売るシンプルなお店を維持、継続していくのは難しくなってきたのかもしれません。

そういう意味で、私はお豆腐屋さんがある町にしか住みたくないなぁ。

 

なお、本郷通りと交差している言問通りを、こんにゃく閻魔さん(春日方面)へ下っていくと、お豆腐屋さん、いり豆屋さん、お茶屋さんはちゃんとあります。菊坂の入り口にあるお煎餅屋さんも健在です。  (たかはしてみこ「本6通信」編集人)

 

[団子坂の図書館]  文京ゆかりの作家と風景 3 -

 

 

早く働きたかった私だが、短大卒業後、これでは社会で通用しないなと考え、編集者養成の専門学校に進むことにした。

ちょうど実家の住み替えと重なり、通学に便利な都内で一人住まいをすることとなった。

赤門不動産さんで見つけた下宿は千駄木、団子坂下の路地の家。今から思えば、まさに東京の下町の家の見本のようだった。

下宿のご主人は籠を作る職人さんで自宅が仕事場。大柄の奥さんはいつも割烹着姿だった。

住人たちの靴がきちんと収められた靴箱のある玄関、左手の階段を上った廊下片側に、小さな台所付きの六畳間が三部屋並んでいた。

店子は私と日本橋三越の社員と上智大学の男子学生だった。私の部屋の前は大家さんの娘さんの部屋で、時々遊びに寄らせてもらったりもした。

遠く離れてしまった大学時代の友達はあまり訪ねて来られなかったけれど、専門学校のクラスメイトはよく遊びに来た。

電話もなくお風呂もなかったが面倒とは思いもせず、…どっぷりと昭和時代である。

 

そんなわけで二十歳そこそこの私は、団子坂の区立鴎外記念本郷図書館を時々訪れていた。文学少女ではなく漫画少女の私に、谷口吉郎設計の柔らかい光が入る図書室は、クールでシブく、由緒ある文学の香りを知らしめてくれたような気もします。

ちなみにその後、社会人になった私が大変お世話になったのは区立水道端図書館である。

こちらは印刷所・製本所・書籍取次店など、本の制作現場の真っただ中の、なんというか市民的な図書館でしたが、現在はどうだろう。(「ハヤカワ文庫全点揃い!」というのが素晴らしい!)

 

さて、本六を開設した2006年、台湾からの留学生で東大院生だった黄姍姍さんがある日突然、来廊された。

流暢な日本語による企画の持ち込みで、実現したのが夏愛華さんの「阿修羅と少女」展(07)である。

黄さんは、東京ワンダーサイト本郷の公募企画に応募、みごと入賞した企画が『華・非・華』 呉詠潔+森本太郎展(07)である。

そこで初めて森本太郎さんの作品を拝見し、本六のグループ展「AUTUMN SONGS」(本六‘09)に出品いただいた。

多様なイメージを集約させる美しい表現、そして思索的な画風である。

 

2012年11月、かつて通った鴎外記念本郷図書館は、現代的な建築の文京区立森鴎外記念館へと変貌を遂げた(註1)。

本年(2014)9月から、森本太郎さんと作間敏宏さんの展示が開かれている(註2)。森本さんは自らの個展で鴎外の「雁」をテーマにした作品を制作されたことがあるという。(文京区民でもある)

個々人の志が育っていき、地域で繋がっていくことに改めて気づく。ずいぶん昔の団子坂の話から始めたが、どれもこれもが懐かしく、そして今日もまた、真新しい記憶が紡がれていく。                                                             (「本6通信」編集人)

 

註1 観潮楼~鴎外記念館への変遷
明治25~大正11年 森鴎外居住「観潮楼」⇒ 昭和12年失火 ⇒ 昭和20年戦災ですべて焼失 ⇒昭和25年 記念公園(児童公園) ⇒昭和37年(生誕100年)文京区立鴎外記念本郷図書館 ⇒平成18年 本郷図書館鴎外記念室 ⇒平成21年 文京区立森鴎外記念館
註2 「森鴎外記念館で現代アート!vol.2生命の連鎖・イメージの連鎖」ディレクション倉林靖氏‘14年 9/13~11/24 エントランス・カフェ等で開催

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