すみれ堂さん大阪屋さんの協力で作った茶菓子セットのラベル。 イラストは村田さん。デザインは栗谷佳代子さん。
2006年5月3日から「ヴァリエテ本六」はスタートしたのですが、この8年の間に、なんと両隣のお店が閉店してしまったのだった。(先隣りの古書店、宗文館書店さんも閉店)
両隣とは大阪屋茶店とすみれ堂本舗。
大阪屋さんは先代のお父様を継ぎ、すみれ堂さんは二代目のご主人を継いで、おふたりとも女性一人でお店をやっていた。
お茶屋さんとお煎餅屋さん。本六と同様、年代ものの店構えには、深い趣きがありました。
村田朋泰さんのユニークな個展「森川町H6書房の怪」(‘06)を開いた時には、両隣に協力していただき、開催記念の茶菓子セット<村田niconicoお茶の朋>、<村田torotorp酒の朋>を作って販売もしました。お茶パックとおせんべいを入れたセットは完売。懐かしいです。
お二人のことはとても尊敬していたので、その思い出は後日改めて。ここでは、お隣さんが扱っていた商品のことにふれます。
お煎餅とお茶…日本人だったらこのセット、おやつの必須アイテムでした。今はどうでしょう。必需品というより嗜好品に近くなり、「和風」とくくられてしまうかも。
どちらも保存はある程度効くが冷凍には不向き。コンビニでも必ず売っていますが、それらを「美味しいね」と素直には言えない。
数多ある「スイーツ」やペットボトルのお茶類が味気ないというのではなく、いろいろあるほど豊かだというのはちょっと違うのではないか。
レパートリーの果てしない膨張は消費者をつかむ攻略、選択肢が多い方がいいというマジックにみんな囚われ過ぎているのでは。
震災の時に美味しく食したのはお水とおにぎりだったのではないだろうか。
そうした、味をごまかせない貴重なものを、製造、調合して売っていた老舗専門店が、なぜ閉じてしまうしかなかったのか。
おそらくこれは、「ゆとり」の在り方に深くかかわる問題なのでしょう。
平成に入ってからも、ずいぶんと暮らしぶりは変っていっているのは確かです。
シンプルなものを売るシンプルなお店を維持、継続していくのは難しくなってきたのかもしれません。
そういう意味で、私はお豆腐屋さんがある町にしか住みたくないなぁ。
なお、本郷通りと交差している言問通りを、こんにゃく閻魔さん(春日方面)へ下っていくと、お豆腐屋さん、いり豆屋さん、お茶屋さんはちゃんとあります。菊坂の入り口にあるお煎餅屋さんも健在です。 (たかはしてみこ「本6通信」編集人)
ふだんは、ベストセラーのミステリーを避けているのに、フランスの売れっ子作家ミシェル・ビュッシの『黒い睡蓮』Nympheas noirsを読む気になったのは、この小説の舞台がジヴェルニーだったからだ。クロード・モネが晩年、“睡蓮”の連作に取り組んだ、ノルマンディー地方の村ジヴェルニーは、世界中から観光客が訪れる印象派の聖地。印象派ファンとしての興味だけで、あまり期待せずに手にした本だったが予想外に面白く、真夜中すぎまで読み耽ってしまった。
印象派絵画そのままの美しい小川のほとりで殺人事件が起こる。被害者は眼科医。絵画のコレクターでもあり、モネの睡蓮の絵を手にいれたがっていた。彼の愛人と噂される、美しい小学校教師、事件を捜査する美術好きの刑事、村を見下ろす高い塔から、すべてを観察している謎の老婦人…。
小説というものは映画やマンガと違うから、読者は想像力を膨らませ、自分なりのイメージを紡いでいく。それが読書の醍醐味でもある。けれど、この小説には驚くべき結末が用意され、読者が思い描いていたイメージの陰から、もう一つの別の絵が浮かび上がる“だまし絵”のような仕かけが隠されているのだ。視覚的でないことを逆手に取った、小説ならではの試み。小説を読む楽しさをあらためて感じさせてくれた本だ。
作中には印象派ゆかりの場所が次々と登場する。モネの家の花ざかりの庭、睡蓮が浮かぶ池はもちろん、かつてセザンヌらが訪れたホテル・ボーディ、モネの睡蓮の絵が展示されている隣町ヴェルノンの美術館、モネが大聖堂の連作を描いた街ルーアンの美術館も。印象派をめぐる旅に出たくなる。モネの庭の睡蓮が花開く季節は、もうすぐだ。 (みなみ ゆみ 翻訳者)
見知らぬ人から手紙が届いた。
差出人の名は私の名と、漢字が一字同じだった。
追憶の中で父が呟く。我々は捨てられたのだと。
その苦い表情から逃れるために、私は意識を仕事に戻した。
時計職人だった父から受け継いだ店は、いつも静寂で満たされている。私は自分の店を、変わらぬ仕事を、繰り返される日常を愛していた。急速な変化や気持ちの乱れは、ただ耐えがたいものでしかない。
時を失った時計に再び正しい時間を与える。それは私にとって喜びだった。止まっていた時計は、私の手の中で動き始める。私は針の動きを確認し、本体を耳元に近づけた。規則正しい音は、静かに鼓膜へと浸透していく。いつしか私は秒針の音楽に包み込まれていた。
時を刻むリズムは、意識の底に沈む記憶を揺り動かす。時計の鼓動は胎内の心音となり、私はその心地よい波に身を委ねていた。時は更に遡り、人肌のぬくもりから灰色の虚無へと突入していく。私はその流れを全身で拒否し、抜け出そうともがいた。
気づけば私は一人店にいた。手元の時計は何事もなかったように動いている。落とした視線の先に封筒があった。私は差出人である母に会ってみようと思った。そもそも私をこの世へ導いたのは彼女なのだから。
日没後の薄闇の中、封筒の白さが目に付いた。その無彩の景色は、これから母と私が共有する、いまだ色の塗られていない時間を示すのだろう。 (ライター 中野昭子)
今年は、三浦綾子さんの朝日新聞一千万円懸賞小説「氷点」が新聞連載されてから、ちょうど50年目にあたります。何度もドラマ化されたこの小説のことは、ご存じの方も多いことでしょう。綾子さんは1999年に亡くなりました。その6年前にパーキンソン病の身を押して書き上げた最後の作品が、長編小説「銃口」(小学館文庫上・下)です。
主人公の北森竜太は、熱心な小学校教師でしたが、たった一度、綴り方連盟の集会に出席したことによって、昭和16年、治安維持法違反の容疑で連行され、7か月間拘留された末、無理やり退職願を書かされたのです。これは、北海道綴方教育連盟事件と呼ばれ、戦後ようやく明るみに出た実際の事件です。
宿直当番で夜道を学校へ向かう竜太が、普段、挨拶を交わしている交番の巡査に呼び止められ、有無を言わさず連行される場面は、あまりにも恐ろしく、身につまされました。それは昨年、強行採決された秘密保護法や憲法解釈変更などで、昔に逆戻りする危険性が現実問題として危惧されてしまうからです。
熱心な教師であったが故に、時勢に従順すぎた竜太の姿は、戦中、小学校教師であった作家自身の姿が投影されたものでしょう。綾子さんは軍国教育をしたことを悔いて、戦後すぐに教職を去り、後には社会から目をそらさない作家活動を続け、作品の中で原発問題にも早くから言及していました。重いテーマの作品ではありますが、竜太を取り巻く人々の温かさ、誠実さに昔の日本人の良さを感じ、ほっとさせられる場面もたくさんあります。
今だからこそ読んでいただきたい一冊です。 (はやしだえりこ 三浦綾子読書会会員)
<編集後記> 2
5月から9年目に入りました。小さなお店ですが時代とともに歩んで行きたいと思います。★今年は企画展を抑えていますので店内スペース・壁面のレンタルを始めました。詳細はHPをご覧ください。★「本6通信」当初予定の隔月刊が季刊になってしまいましたが、店主の愉しみでもあり、進化しつつ刊行していきます。★HPリニューアルでは竹本清香さん(芸力)に無理難題を叶えていただきました。素敵に変貌し、感謝しています。★本六が皆さんにとって佳い空間でありますように! (t)