#3 

2014 – AUTUMN

[団子坂の図書館]  文京ゆかりの作家と風景 3 -

 

 

早く働きたかった私だが、短大卒業後、これでは社会で通用しないなと考え、編集者養成の専門学校に進むことにした。

ちょうど実家の住み替えと重なり、通学に便利な都内で一人住まいをすることとなった。

赤門不動産さんで見つけた下宿は千駄木、団子坂下の路地の家。今から思えば、まさに東京の下町の家の見本のようだった。

下宿のご主人は籠を作る職人さんで自宅が仕事場。大柄の奥さんはいつも割烹着姿だった。

住人たちの靴がきちんと収められた靴箱のある玄関、左手の階段を上った廊下片側に、小さな台所付きの六畳間が三部屋並んでいた。

店子は私と日本橋三越の社員と上智大学の男子学生だった。私の部屋の前は大家さんの娘さんの部屋で、時々遊びに寄らせてもらったりもした。

遠く離れてしまった大学時代の友達はあまり訪ねて来られなかったけれど、専門学校のクラスメイトはよく遊びに来た。

電話もなくお風呂もなかったが面倒とは思いもせず、…どっぷりと昭和時代である。

 

そんなわけで二十歳そこそこの私は、団子坂の区立鴎外記念本郷図書館を時々訪れていた。文学少女ではなく漫画少女の私に、谷口吉郎設計の柔らかい光が入る図書室は、クールでシブく、由緒ある文学の香りを知らしめてくれたような気もします。

ちなみにその後、社会人になった私が大変お世話になったのは区立水道端図書館である。

こちらは印刷所・製本所・書籍取次店など、本の制作現場の真っただ中の、なんというか市民的な図書館でしたが、現在はどうだろう。(「ハヤカワ文庫全点揃い!」というのが素晴らしい!)

 

さて、本六を開設した2006年、台湾からの留学生で東大院生だった黄姍姍さんがある日突然、来廊された。

流暢な日本語による企画の持ち込みで、実現したのが夏愛華さんの「阿修羅と少女」展(07)である。

黄さんは、東京ワンダーサイト本郷の公募企画に応募、みごと入賞した企画が『華・非・華』 呉詠潔+森本太郎展(07)である。

そこで初めて森本太郎さんの作品を拝見し、本六のグループ展「AUTUMN SONGS」(本六‘09)に出品いただいた。

多様なイメージを集約させる美しい表現、そして思索的な画風である。

 

2012年11月、かつて通った鴎外記念本郷図書館は、現代的な建築の文京区立森鴎外記念館へと変貌を遂げた(註1)。

本年(2014)9月から、森本太郎さんと作間敏宏さんの展示が開かれている(註2)。森本さんは自らの個展で鴎外の「雁」をテーマにした作品を制作されたことがあるという。(文京区民でもある)

個々人の志が育っていき、地域で繋がっていくことに改めて気づく。ずいぶん昔の団子坂の話から始めたが、どれもこれもが懐かしく、そして今日もまた、真新しい記憶が紡がれていく。                                                             (「本6通信」編集人)

 

註1 観潮楼~鴎外記念館への変遷
明治25~大正11年 森鴎外居住「観潮楼」⇒ 昭和12年失火 ⇒ 昭和20年戦災ですべて焼失 ⇒昭和25年 記念公園(児童公園) ⇒昭和37年(生誕100年)文京区立鴎外記念本郷図書館 ⇒平成18年 本郷図書館鴎外記念室 ⇒平成21年 文京区立森鴎外記念館
註2 「森鴎外記念館で現代アート!vol.2生命の連鎖・イメージの連鎖」ディレクション倉林靖氏‘14年 9/13~11/24 エントランス・カフェ等で開催

「 カイユボットの庭で 」 -

 

 

印象派

この夏、パリ近郊の町イエールに、印象派の画家ギュスターヴ・カイユボット展を見に行った。会場は、かつてカイユボット家の別荘だった場所。広々とした庭園にイタリア風の白亜の館やスイス風の山荘などが点在し、池があり、敷地沿いに川が流れ、現在は公園として町民の憩いの場になっている。

1870年代に描かれたカイユボットの初期作品の多くは、この別荘と周辺の風景をモチーフにしている。今回の展覧会は、それらの作品を美術館や個人の所有者から借り出して展示。一世紀以上の時を経て、彼の絵は里帰りしたわけだ。花や木々の緑に彩られた庭園と館、水辺の風景、カヌーや釣りをする人々などの一連の絵を見ると、この美しい自然に恵まれた土地から、若き日のカイユボットがどれだけ豊かな着想を得たかがよくわかる。

1875年頃の油彩「イエール、池 睡蓮」は、淡いオレンジ色の睡蓮のつぼみが水から顔を出し、木々の影を映す暗緑色の水面が画面のほぼ全体を占める、当時としては大胆な構図と筆致。クロード・モネが1900年代初めに着手した睡蓮の連作を先取りしているようで興味深い(ガーデニングの趣味を分かち合い、カイユボットと親しかったモネは、この絵をたぶん見たはずだ)。雨滴が川面に落ちて、大小いくつもの輪を描いている「イエール川、雨の効果」も斬新で独創的だ。彼にとってイエールは、伝統的絵画の型を破って新しい表現方法を模索する実験の場、印象派としての出発点だったのだろう。
絵が展示された館を出て庭園を散策すると、絵の中の風景が今もほぼ変わらずに残されているので、うれしくなった。十数年前から町が建物の修復や景観の保存に努めているおかげだ。片隅にある菜園もカイユボットがよく描いた場所で、今は地元のボランティアが野菜やハーブ、花を育てている。レタスにカボチャ、ぶどう、ラベンダーや色鮮やかなグラジオラスが夏の光を浴びていた。    (みなみ ゆみ 翻訳者)

「 STITCH 」 -

 

 

ANGEL

 

扉が震えた気配を感じて、私は戸を開けた。

目の前には影法師。

気がつけば私は、布と紙を手にしていた。

図案通りに刺繍を施すこと、それが訪問者の依頼だった。

刺繍の技術を受け継ぐ家の生まれだった母は名手で、さまざまな模様を鮮やかな手つきで刺し上げていたものだ。母亡き後は私が引き継いだが、こんな奇妙な仕事は始めてである。

作品は期日通りに仕上がった。渾身の出来となった布を見ていると、戸を叩く音がする。成果物を渡すと依頼主は頷き、布を裏返して私に示した。

反転された柄に見覚えがある。遠い昔、古びた本の中で見た形象。意味に気づいた瞬間、縫い込まれたかたちが私を圧倒する。

その時私は、母が時折口ずさんでいた歌を思い出した。

 

死の文様には気をつけろ

底知れぬ黄泉の国からは

不吉な使いがやってくる

奴らが来たなら背を見せよ

 

私は背中を向けた。すると吹き荒れる風と共に使者が消えた。

振り返れば、白い布がはらりと落ちているばかり。

背に何かぬくもりを感じる。私は糸をほどき、体感する形を再現してみた。象られた図柄は、私を温かい記憶で満たした。

私の家では代々、産着の背に魔除けの縫取りである背守りを施す。護符は布を通して私の体に浸透し、魔を払ったのだ。

私は刺繍を続ける。母と同じように、誰かを守るために。               (なかのあきこ ライター)

本の思い出  上畑ナオミ・ミズタニカエコ -

 

 

 

 

[特集] 展覧会開催アーティストさんに訊いた「本の思い出」  2nin_postcard_1  

 

・ 印象に残っている3冊の本。その理由も教えて下さい。

 

上畑ナオミ×ミズタニカエコ 二人展 「網膜のプレパラート」

 

上畑ナオミKAMIHATA NAOMIさん

1 『神話の力』 ジョーゼフ・キャンベル(ハヤカワNF文庫)。

人は生と死と再生を繰り返していることを自覚できる本。中間に意味がある。

 

2『広場の孤独・漢奸』 堀田善衛。(集英社文庫)

戦争にコミットするか否か、その間を苦悩しながら模索するコミットしない姿勢。

 

3『指輪物語』 J.R.R.トールキン(評論社文庫)

ネット社会において「目蓋なき燃える目」は欲望の象徴。ゴクリとフロドが愛しい。

 

 

ミズタニカエコ MIZUTANI KAEKOさん

1 『理科工作ずかん』 實野恒久 (保育社)

物創りの原点をこの本で学んだ。自分の人生で欠かせない一冊であり、一番読み返している本でもある。

 

2 『夏の花・心願の国』 原民喜(新潮文庫)

儚く切なくも、美しく力強い作家の、毅然とした姿勢と情熱が滲み出た作品。一番強く、心打たれた作品。

 

3 『幻想の画廊から』  澁澤龍彦 (青土社)

澁澤文学の、美術に対する美学が集約された一冊。嗜好を決定づけられた。

 

 

「本6通信」 2014.10.1刊 -

<編集後記>3

この通信をパソコンで制作中、ひどい腰痛が出てしまいました。ご近所の方がボランティアに来てくださり、感謝です。4月から企画展示はお休みにして、一人で木金土、と第2、4火曜日にオープンしていますが。本のお客さん、初めてご来店の方が増えてきていて嬉しいです。この調子で行きたいです。・終わりが見えない戦争、強者は弱者を、弱者も弱者を生むという。不穏な世界情勢の中、できるだけ憂いなく、いつも心に太陽を! 皆様、お元気で年末年始をお過ごしください。(て)

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