安部内閣の暴挙に気持ちも沈みがちな日々の中、唯一つの喜ばしいこと。それは、
恒川光太郎さんが「推理作家協会賞」を受賞されたことです。ね。
バンザイ!!!!!
本屋さんにまた平積みされてます。
受賞のポップが立ててある写真を写したかったですが、撮影禁止の大型書店なので断念。
もし、今、金色様がいてくれたら、
やってほしいこといっぱいある。
どこかの祠で、眠っておられるのかな。
出てきてほしい、金色様です。
再び「金色機械」(こちらもチェック)について。
お祝いの言葉に代えて魅力の一端を。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
恒川光太郎さんの小説のファンなので、
今回の受賞はやっぱり嬉しいです。
以前、「游魚」第1号で、その世界について書かせていただきました。
「金色機械」は、そこで取り上げている作品群から、
さらに先、別のパートへ移ったように思いましたが、
今、またページを開いてみますと、
それらの総結集のように見えてきました。
長編作品だからだということではないです。
各章に分けて綴られて、それらの時代も異なっているにもかかわらず、
そんなことは全く気にならず、自分の中でつなげていける、
もういつの時代でもいいや、とにかく金色様はいたんだ、
って思ってしまうこと。
筋を追って愉しむということより、
ページの上に出現した世界、世界観、
登場する人、生きる人たちの仕業を、
ひたすら見続けていく心地よさ、
それも魅力だと思います。
教養小説的、エンターティンメント的、謎解き、問題提起、
癒し系、ホラー、時代小説的、歴史小説的、奇想的、恐怖小説的…、
のどれにも含まれず、かといってそれら全てを含んでいるような「金色機械」。
映像なら、一気に行ってしまえるのに、
文字って、言葉ってなんか大変、厄介、と、
書く方、たぶん時々読む方も思うはずなのですが、
恒川さんの作られた言葉の群れ、その波に吞み込まれると、
アタマの中に自然に透明なスクリーンが出てきて、
物語が展開していく。どこまでも。
そこには、映像、映画以上に、
何があっても不思議ではない「自由さ」があります。
自由、
それは脆弱な心身に、今もっとも必要な力、
エネルギーではないでしょうか。
それが、恒川作品の魅力です。
また、蛇足になりますが、
漫画と比べると、
漫画は非常に読み手に親切で、
言葉はそんなに親切じゃないからこそ、
喚起してくれるなにかを含んでいるのですね。と思います。
今の時代に、
こんなへんてこで魅力的な読み物を書いてくれるのは
恒川光太郎さんしかいないです。
おめでとうございます!!
☆夏前に、恒川さんの新刊、出るらしいです。
また読めるよ~。