さび猫からはじまる、2015年 [hotcake 109]

2015年1月9日

 

 

今年は「ホットケーキが焼けるまで」を

もっとアップしていこうと思いました。

 

一か月間(も?)、お店を休むから、というのも主な理由ですが、

先日「本6通信」WEB版をアップして、

電子版(WEB版)だと、まったく未知の人も読んでしまう、というか、

目に触れていただける、同時に見てほしくない人の目にも触れて

読まれてしまう、ということもあるけど、

でも、しょせんお店開いている、ということはそういうことなわけだし、

アーティストさんたちの展示もそう、

本を出版することもそうだし、

なんつうか、人は人とつながることでしか、生きられないから、

こんなことを読んでなにかのためになれとは言わないけど、

0.01ミリくらい引っかかったり、ふんっと怒ったりされてもかまわない。

とにかく、誰かに自分のおもったことをつたえることは

かっこ悪いことじゃない。

 

いや自分のことなんか、人に伝えたくないよ、

そう思っている人はいると思うけど、

私も実はそう。

でも、はたして自分の中に何があるか、なんてことは、

自分じゃわかんないんだよ。

 

私は一か月くらい人は実用的な伝達のため以外、

ひとことも自分の感じたことなんかをだれにも話さなくとも、

じっさいまったく困らなかった記憶があるけど、

それじゃ人生はつまんないと最近、思いました。

 

・・・と、

朝からパソコンにむっかたら、ひとり言がどんどん出てくるわけです。

むやみなことですね。

実は、人と話さなくとも、テレビとか、小説とか、漫画、映画を読んだり見たりすることで

自分の中で誰かに話していると、思います。

統合失調症とかは、脳内のそういう流れに、

緩急とか滞りがあったりするのかもしれないな。

 

長くなってしまいましたが、

なるべく人と話した方が、人生のお得感があることは知っておこうっと。

(ただし自慢話は人を遠ざけるからご用心)

 

「ホットケーキが焼けるまで」という長いのか短いのかわからないけど、

それくらいの時間に、頭を巡ったことをつづっています。

できるだけ、あんまり整理しないようにしています。

今年もよろしくお願いします。

 

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根津神社に初詣に行った帰り、とあるお宅の縁側にさびがいた。

 

さびっていうのは、写真(三年前に亡くなったきよちゃん)のような、

毛皮の柄の猫です。よく分かる写真を選びました。さび色でしょ。

外国ではトーテイとかですが、意味としてシジミ色を指しているので、と友人の説です。

さび猫オタクという人もいるらしいです。

 

画家のバルチュスにも絵に描かれている、

作家の町田康の写真集にも撮されている、

芸術家の赤瀬川原平の写真とイラストにも登場(みよ)。

アーティストさんにも、微妙な色合いに惹かれるのでしょう。

 

さびは頭がいい、というのは私の持論。

だってきよちゃんがそうだったから。

 

「もらってください」と、

生まれた家猫の子たちを紹介しても、

その微妙な美しさに、人は気づかず、

さび猫は、最後に残されることが多い。

外猫になってしまう率も多いと思われる。

しかしながら、

その微妙な色合いは、みごとな保護色でもあり、

世間の目をすり抜けて生き残る可能性が、

他の猫よりも多いのではないかと思われます。

サバイバル。

 

そんなわけで、きよちゃんもうちの猫になったのだった。

根津神社の裏のお宅のさび猫さんも、

縁側下に設置された、段ボールハウスを居宅としておられたのでした。

さびみたいに生きたいものです。

いや、段ボールじゃなくて、

その心意気です。

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フランス、パリのテロ事件、

怖い。ああいうことが東京であってはならない。

怖い。

そういう方向に行かないことを祈りながら、

常に世の中の動きを見ていかないと、

「いきなりだった」、「知らなかった」、では、もう済まされないな。

歴史に、どんな個人も、それなりの責任持たないと。

 

 

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