春一番に思ったこと。 [ ホットケーキ 55]

2012年3月31日

 

春一番のような強風が吹いた今日は、整形外科と内科へ行き、ギャラリーに着いたのは四時近くになってしまいました。

竹本さんがいらして、平さんが在廊され、森川さんもご友人をお連れになlり、平さんの絵を申し込まれていた山本さんがいらして、神田明神、鳥居入り口の天野屋さんで買ってきたおまんじゅうを食べました。久しぶりに赤枝さんもみえました。ちょうどいい春の一日でした。

 

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この強風の中、お注射に行ってきた老猫のきよちゃん、親切なかかりつけの獣医さんは、人間でいったら5~6才の子どもと同じくらいの知恵があると思ってくださいとおっしゃっていたそうです。

そんな気はしますが、私にとって、15歳のきよちゃんは今はおばあさん。最近だんだん子ども帰りしているようです。そこが「五、六歳」のお子さんぽいところかもしれません。ますます可愛いです。

 

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ところで先日、中学のクラス会がありました。

開始の昼12時から20時ころまでの長い時間、地元のお店を3軒はしごして食べて飲んでちょっと歌ってました。

(最後は、赤羽OK横町、ってのがクール。初めて行ました。)

会ったとたんに昔に戻ってしまい、遠慮もなく、かといって無遠慮でもない自然さは何だろう。

 

なんというか、[今の「素」]は、すべて中学という時期にあると思います。

 

私の通っていた中学校は、新設校で、地元のこども、創設された大きな団地、公務員市住宅や都営住宅の子どもたち、有象無象が集まっていました。大人になってもいろいろです。

今はもう、なくなってしまった中学校なのですが、

せいいっぱい遊んで、スポーツして、臨海・林間学校、修学旅行に行き、

恋をしたりアイドルに夢中になったり深夜ラジオ聴いたり、できる範囲で勉強していた三年間です。

 

新設校で、傾向、目的、趣向も、まったく定まっていなかったからこそ、オールマイティだったんだな。

でもかすかに、糸口だけは見えていた。いろいろな事情を抱えてる子どももいたけれど。

 

少年・少女時代は、その後、とみにどんどん短くなっている傾向があります。

すべてが目的化され、早く大人にされてしまうような。それはとても、もったいない気がします。

 

中学時代、つまり12~15才の頃には、

すでに、ほとんどの{大人の思考}は、存在しているはずだと思います。

唯一、無いのは「経験」だけのような時期、の気がする。

そういう意味では、宙ぶらりんなんだけれど、そこに光る原石がありそうです。

だからこそ、急がなくたっていいじゃないかと思います。

 

誰もが持っているはずの、そのころの顔が見えてしまうような、

一緒にいるだけで十分に楽しいというのは、なんて素敵な関係だろうか。

そういうのがいっぱいあったら、人生かなりハッピーですね。

 

 

 

 

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