初めて開いた「café 木曜日の本の扉」、
言葉を放つこと、受け取ることは有機的なことなのだ。
ということを改めて体験しました。
なにかを話そうと意気込むと失敗するので苦手です。
自分の考えなんてたいしたことがないことは知っているから、家族ならまだしも、
知らない人にそれを提示するなんて恥ずかしくていられないので、言葉が出ないのですね。
また、自分の意見が正しいと根拠なく信じている人の話を聞くのは一番の苦痛です。
だから、聞いているふりをしています。
決してバカにしているのでなく、そういう人を、すごいな、怖いものなしだなと感心して萎縮してしまうのです。
でも、冗談、くだらないこだわり、オタクっぽいこと。
不思議な話、奇天烈なできごと、三面記事的話題、へんてこな符牒、符丁。
みごとなメタファー。うっとりするほど、きれいな言葉や言い回し。
想像妄想、あるいは面白かった小説、映画、旅の話。
社会における理不尽で信じらんないばかげた事実、とかはとても聞いてみたい。
自分もそーいうのはいつも見つけたいし、また話したい時もある。
(が、誰にでもその面白さが通じるとは限らない。)
本当はそういう話はお酒なんか飲みながらだと話しやすいのでしょう。
私はお酒を飲むと明るくなるし頭の回転も速くなってくるが、医者にも止められているのでそうした機会は皆無です。
ご飯を食べながら、というのならふつうに機会はありますが、
ごくごく身近な人に限られてしまう。でも夜遅くは困る。帰りが遅くなるのが嫌だから。
(私は一刻も早く家に帰るために、働きに出ているのだと、最近は思います??)
そんな手前勝手なことなども含め、誰かのお話を聞きたいし、少しは自由に話す機会があればと、
最近、考えていました。
うちは本屋ですから、誰でもがその気になれば可能な「本を読む」という行為にこだわったトーク企画。
それが「café 木曜日の本の扉」でした。
木曜日はたけちゃんがお手伝に来てくださるので慌てないですむし、お勤めの人もわりに気軽に参加できるのではという設定でもあります。
読書会ではないので、テーマの本を読んでなくともどうぞ。
そうして二週間後に開いた「本の扉」でした。
夏過ぎに体調を崩されておられた安達先生も、調子を戻されて、遠くから足を運んでいただきました。
中西さんは、仕事先の仙台からやってきてくれました。
ゲストと参加者ともに全部で10人。話し合うには、ちょうどいい感じです。
本六には、簡易椅子は別として、ベンチ、椅子が15席あるのですが、
空間的余裕もあり、話すのが苦手な人も自然に語れちゃう安心感がありました。
これくらいの定員人数は今後もできるだけ保持したいです。
安達先生に、中西さんがインタビューするという形をとりました。
お二人のお話は、雑誌創刊・アート・編集という仕事・神話・民話・日本海・日本文化論・古代、と、
いろいろに流れつつ、ひろがっていきました。川の流れのように、淀んだりさらさらしたりしながら。
そこに参加された方のことばもはさまれていき、支流ができていくのです。
安達先生の著書のテーマに挙げられている日本人のルーツ、文化論のアウトラインも時間に限りがありましたが、お聞きできました。最長30分ぷっつつけのしゃべりというか、ご講義は貴重でした。
お疲れになったかもしれませんが、聴衆にとってはおおいに刺激になったと思います。
創刊誌「游魚」編集委員会の掛井さんと児玉さんにもおいでいただけました。「游魚」という文化誌の内側も垣間見えました。
帰りがけ、中西君が「また呼んでください」と、おっしゃっていました。
私は自然科学(の本を読んだりするの)が好きで、でも無知なので、
植物の専門家でもある中西さんにインタビュアーを託したのです。
お呼びしますとも!
そして、安達先生にも、ぜひまたいらしていただきたいです。
次回はおひとりでのお話がいいですね。きっとこの時間では、語りきれなかったと思うので。
前もっての準備など不要です。
積み重ねられた知識の断層から、清水のように湧いてくる言葉にこそ、耳を傾けたいのですから。
おふたりと、参加いただいたみなさんに、心から、ありがとうございました。