「門」はなんのため?      [ホットケーキ72]

2012年11月9日

 

 

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最近、眠る前に読んでいるのは、

ポール・ギャリコの「ほんものの魔法使」です。

矢川澄子の名訳ですし、面白いですね。

たいてい、途中で寝入ってしまうにしても。

 

魔法の都市<マジェイア>と、築かれた城壁で隔てた世界との間には、

<門>があります。

 

ふと、考えてしまう。<門.>とはなんだろう。

隔てているのか。つないでいるのか?

 

夏目漱石にも「門」という、どこか苦しげな窮屈な小説がありましたっけ。

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」でも、

<門>はとても強い印象をのこします。

 

恒川光太郎の「雷の季節の終わりに」では、<穏>という世界と、

その<外>の世界を隔てつつ、

交流が可能な唯一の場、ピンポイントでした。

 

 

<門>とは、外と内との間で、危険ななにかを守っているのでしょうか。

でも、外と内というのは、真逆もありで、

どちらかどちらなのかなんて、本当はない、わからないにちがいない。

 

外と、内とは、異なるもの?  相反するもの?  違うものなのか?

<門>を構築しなければならないということは、科学的なことなのか、ケイザイ的なことなのか。

 

さすがに「魔法使」についての本だけあって、

マジカルな命題に突き当たってしまいました。

 

そういえば、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」では、

スフィンクスが、<門>の機能を果たしていました。

 

 

自分の中にも、<門>をつくっているのだろうか。

 

                                      *画像は森田伊津美さんから送信されてきた写メール

 

 

 

 

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