天の川と砂粒    [ホットケーキ63]

2012年7月10日

 

皆さん、七夕はいかがでしたか。

私は、学生時代のともだちがギャラリーに集まってくれて、愉しい時を過ごせました。

 

遠方の友人とは疎遠になりがちですが、

私くらいの年齢になると、次はいつ会えるのか、もしかすると数年後になるかもしれないし、

どこでどうなるか先のことはわからないと、思うものです。

 

たくさんの蔵書を譲ってくれた友人は、活発な長い間の東京暮らしから、

九州での晴耕雨読の暮らしへと移っていきました。

突然体調を崩し、同じ九州で保養生活を送っていた方は、そろそろ帰京します。

またへとへとになった心身を復活させるため、大好きなパリへ旅立った友人も、

数日後には帰国です。

お三人とも、異卿での生活で、幸せな回復をされますように。

 

帰ってくる人、還る人も、みんな、元気出していきましょう!

・・・そんなことを想ってしまうのは、人の移動が多い夏という季節だからなのでしょうか。

 

 

ギャラリーを初めて訪れてくれた京都の友人は、もう40年くらい前の学生時代、

父と叔父がやっていた古書店でアルバイトをしていました。

その当時の東大と、現在の東大が変わったことに驚いていました。

 

そりゃ40年経てば当然ですけど、

本郷通りの赤レンガ塀ぞいに、

いくつもの校舎が経ってしまったことに驚いていたのです。

「東大はお金持ちなのか?」と言ってましたが、

そうじゃなくて、あれとあれは寄付で建てられているし、

レストランとかカフェにたくさん出店してもらっているのだから、

ビンボーなんだよ、きっと、と応えたのでしたが・・・。

 

私も常々思ってるのですが、建物を塀のぎりぎりに経てるのはカッコわりぃ。

余裕なさそうで、ビンボッチャマくさくないか。土地の価格と照合させるような感覚。

 

樹木がね、赤レンガ塀沿いにいっぱい、伸び伸びと茂ってたのがロマンチックだったのです。

意味ないような大きな銅像や、洋風のファサード的な建物があったり、が。

郊外の私大の美大生にとってはね。

 

やっぱり時代は変わります。

(中島みゆきもそう唄っていたような?)

でも、地下鉄構内や、病院入り口にある笹の枝に、

私は今年も、願い事を書いだ短冊(無料のサービスでしたよ)を、結んでしまったし、

夏ごとに夏帽子を新調してしまうし、

こういうことは時代が変わっても、変わらない。

そして友達も、40年たってもやっぱり変わらないのだった。

ケイタイやスマホを持ってはいても。

 

そういうことが無数の砂粒のように、ひたひたと存在しているだけなのに、

なんで大きな世界はぎしぎしと変化していくのだろう。

毎日、刊行される小説の中の物語も、実はほとんど変わってないのに。

草食系三四郎だって、まだ安田講堂の横の池渕で、パンなんか齧っていそうです。

 

と、いろいろと考えてしまうけれど、

七夕のプリンス、Mr 天の川が夜空で笑っているかもしれません。

 

元気出していきましょう。

歌ったり絵を描いたり、言葉を交わせる幸せを、実際の砂粒はもっていないし、

たくさん、考えなくちゃならないことがあるからね。

 

それから、あとで思い出しましたが、

中島みゆきは「時代はまわる」、「時代はめぐる」と唄っているのでした。

やはり偉人です!!

 

 

 

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