皆さん、七夕はいかがでしたか。
私は、学生時代のともだちがギャラリーに集まってくれて、愉しい時を過ごせました。
遠方の友人とは疎遠になりがちですが、
私くらいの年齢になると、次はいつ会えるのか、もしかすると数年後になるかもしれないし、
どこでどうなるか先のことはわからないと、思うものです。
たくさんの蔵書を譲ってくれた友人は、活発な長い間の東京暮らしから、
九州での晴耕雨読の暮らしへと移っていきました。
突然体調を崩し、同じ九州で保養生活を送っていた方は、そろそろ帰京します。
またへとへとになった心身を復活させるため、大好きなパリへ旅立った友人も、
数日後には帰国です。
お三人とも、異卿での生活で、幸せな回復をされますように。
帰ってくる人、還る人も、みんな、元気出していきましょう!
・・・そんなことを想ってしまうのは、人の移動が多い夏という季節だからなのでしょうか。
ギャラリーを初めて訪れてくれた京都の友人は、もう40年くらい前の学生時代、
父と叔父がやっていた古書店でアルバイトをしていました。
その当時の東大と、現在の東大が変わったことに驚いていました。
そりゃ40年経てば当然ですけど、
本郷通りの赤レンガ塀ぞいに、
いくつもの校舎が経ってしまったことに驚いていたのです。
「東大はお金持ちなのか?」と言ってましたが、
そうじゃなくて、あれとあれは寄付で建てられているし、
レストランとかカフェにたくさん出店してもらっているのだから、
ビンボーなんだよ、きっと、と応えたのでしたが・・・。
私も常々思ってるのですが、建物を塀のぎりぎりに経てるのはカッコわりぃ。
余裕なさそうで、ビンボッチャマくさくないか。土地の価格と照合させるような感覚。
樹木がね、赤レンガ塀沿いにいっぱい、伸び伸びと茂ってたのがロマンチックだったのです。
意味ないような大きな銅像や、洋風のファサード的な建物があったり、が。
郊外の私大の美大生にとってはね。
やっぱり時代は変わります。
(中島みゆきもそう唄っていたような?)
でも、地下鉄構内や、病院入り口にある笹の枝に、
私は今年も、願い事を書いだ短冊(無料のサービスでしたよ)を、結んでしまったし、
夏ごとに夏帽子を新調してしまうし、
こういうことは時代が変わっても、変わらない。
そして友達も、40年たってもやっぱり変わらないのだった。
ケイタイやスマホを持ってはいても。
そういうことが無数の砂粒のように、ひたひたと存在しているだけなのに、
なんで大きな世界はぎしぎしと変化していくのだろう。
毎日、刊行される小説の中の物語も、実はほとんど変わってないのに。
草食系三四郎だって、まだ安田講堂の横の池渕で、パンなんか齧っていそうです。
と、いろいろと考えてしまうけれど、
七夕のプリンス、Mr 天の川が夜空で笑っているかもしれません。
元気出していきましょう。
歌ったり絵を描いたり、言葉を交わせる幸せを、実際の砂粒はもっていないし、
たくさん、考えなくちゃならないことがあるからね。
それから、あとで思い出しましたが、
中島みゆきは「時代はまわる」、「時代はめぐる」と唄っているのでした。
やはり偉人です!!