太宰治とアメリカの彼女と桜の木。 hotcake 123

2016年4月7日

 

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みなさん、桜の季節を楽しまれましたか。

 

私は、足は治りましたが、筋肉のリハビリのために

相変わらず、毎日、すこしでも長く歩くようにしています。

お店の帰りには、足腰がとっても痛くなっていて、

実にたまらないのですが、仕方ありません。

 

でも、痛みからの回復が若干、早くなっているのではないかな、

と自分では思っていて、日々、頑張っています。

 

痛くとも、歩けるようになったのですから、

あちらへこちらへ行こうと、

ようやく思えるようになったのはありがたいことです。

 

本で得る知識と、実際に体験して知ることとはすこし異なります。

すべては無理からなので、営業日も減らしました。

これからは出かける機会を、

足のためにも増やしていけたらと、思っています。。

 

先日、朝、起きたら、昨日の足腰の痛みが和らいでいて、

本六で朗読会を開かれた「鳳仙花」のメンバーのおひとりが

出演されるという朗読会を聞きにうかがうことができました。

 

読むのと聞くのとでも、ずいぶん異なります。

読んだことがない小説を「聞く」ことは、

発見、発見(「見る」わけではないのですが)の連続です。

そこには、人間も介在していますので、

ミステリアスでもあります。

 

 

八人。八作品の朗読会でした。

この方は、なぜ、この作品を選ばれたのかしらと、

朗読者の方々の作品の選択にも興味がわき、

その謎は、作品を聞き終わるころに、納得、氷解するのでした。

 

太宰治の「貨幣」の朗読は、強い印象を遺しました。

私は太宰治が苦手というか、

いや同時代の、織田・安吾・井伏・石川等々、

みんな、オジサンぽくて苦手なのですが、

特に太宰は、「走れメロス」くらいしか、読まず嫌いでしたが、

「貨幣」は、とてもシンプルに訴えてくるものがありました。

現代的でした。象徴的で、太宰さんは女の人を好きなのでしょうね。

「保育園おちた、日本死ね」が、自然に頭に浮かんできました。

 

これからどんどん太宰を読みたい、というのではないのですが、

後で、ネットで経歴を調べたりしてしまいました。

日本の文豪、さすがなのだと、知ることができた愉しい朗読会でした。

ちなみに、私は太宰治より一世代上の文豪がわりに好みです。

オジサンにはなれなさそうな、そんな感じがして。

 

 

さて、

朗読会も終わり、帰り道、会場からほんの7分くらい歩いて寄った所があります。

今から30余年前に、アメリカに留学した年下の女友達の生家です。

 

一度だけ、それもなぜか渡米の前日に、

その家にお邪魔して彼女の部屋に泊まったことがあるだけなのですが、

特徴あるビルだったので、簡単に見つけることができたのです。

 

ポストには、おそらくご親族だろう方のお名前も見つけました。

いきなり訪れて、彼女の消息を尋ねるというのもあまりに不躾ですし、

お訪ねしたのは一度きりですから、

ご親族は私のことを忘れているだろうしまた知るよしもないはずなので、、

また、改めてお便りでもしてみてもいいかと思い、踵を返しました。、

お家がまた健在、存続しておられることが、嬉しかったです。

 

留学後は、大学近くに自分の家を持ち、友達とシェアして暮らしていた彼女。

電話したこともありました。

相変わらず早口で、同居人に英語で話していたっけ。

 

そのうちに、お互いに便りも途絶えてしまい・・・、

どうしているだろうか。

ある時期を共に過ごした、懐かしい人です。

 

 

そんなことを思いながら、

1時間かけて帰宅しましたが、

その間も、足腰が痛いのなんのって。

駅に着いたときはすでに夕刻。

でも花見の人たちは、これからとばかりに

ちらほらと出てきているのでした。

 

見上げると夕闇に、桜の花びらが白く浮かんでふうわりと、

そして寂しげに見えました。

 

きっと彼女は、元気で暮らしているだろう、

そうでありますように、と、桜に祈りました。

 

 

 

 

 

 

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