作品集をお送りいただきました。
「WORKS 高麗隆彦=長尾信の仕事」 です。
32頁にわたって、
長尾さんの手がけられた装幀の画像が掲載されています。
頁を開くごと、
美しいなぁと、ただただ、見入ってしまいます。
美しい文字、美しい余白。
本の中身がひっそりと慎ましく、でも自信に満ちて存在しています。
simple is best が長尾さんの真骨頂。余白名人。
考える種子が内包されているみたいな装幀。
評論の饒舌、著者の情熱・・・強靭な思想の存在を感じさせます。
文字が縦に流れていると、つい、その言葉の意味を、解き明かしに出発したくなります。
もの言いたげな表紙。力のある絵が問いかけます。
「私を読んでみませんか?」 と。
右上は欲しくてたまらなかったシリーズです。読まなくてもいいから、手元に置いておきたい本。
ヨーロッパ関係文芸書や人文書。名著『目の中の劇場』も、忘れられない面白く読んだ一冊です。
ちなみに、左下の「シェイクスピアの鳥類学」は下↓です。
本六オフィスの棚にあり、売れない・売らない1冊。
最終ページに、エクスリブリスまで刷られているのです。
本の内容にも立ち入ってしまいますが、
この辺は好みです。
上中の『畸形の神』(著:種村季弘)は、
表紙真っ白の印象。お気に入りです。
高価ですが買ってしまい、整形外科の待合室で読みました。
厚いのに持ち歩いていられていた。私も若かった。
種村先生のファンだからね。
中国関連書。ミステリアスでそれっぽい。
安達史人先生の『漢民族とはだれか』もあります。
赤がきれいです。
映画の本。
迫力ある大文字がチャーミング。文字たち、みんなしっかりものです。
大文字だけど(だからこそ?) 声を荒立てない品格があります。高麗さんの、字へのこだわりはすごい。
見飽きないですが、この辺にしておきます。
この作品集の素敵なレイアウトは佐竹寛昭氏。印刷はかつて務められていたあの精興社。
19年間過ごされた東京造形大学を退官後の記念作品集です。
カバーを外した背、見返し、表紙、なども、もっと見たくなります。
つまり、一冊ずつ手に取りたくなってきます。
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私が長尾さんとお会いしたのは、まだ20代のころ、二つ目に務めた出版社でした。
神楽坂の路地から、東販近くの江戸川橋に会社が移転してからです。
長尾さんは社会に出て初めて会った、大学の先輩です。
もしかすると学校でだぶっていた時期もあるかもしれなかったのですが、確かめていません。
長尾さんの印象は「頑固職人」。
気難しそうなので敬遠。まともに会話したことはほとんどありません。
というか、何を話していいのかわからないのでした。話題がないというか、かみ合わないかも。
私は、あんまり編集者らしくない?編集者で(そうでありたかったし)、呆れられていたのではないかと想像するのです。
<あいつはしかたない>的な・・・。
でも、数少ない会話の中、長尾さんが語られた言葉で後々までも印象に残った言葉があります。
それは「装幀は、文字だけでいいんじゃないかと思うんだ」です。
もしかしたら私の勝手な勘違いの上塗りだったら、申し訳ないのですが・・・。(何しろずっと前のことですから)
私は編集者になるのが夢だったので、「編集デザインコース」というコースがある大学に進学したのですが、
本のデザイン、装幀は、むしろ苦手でした。好きなのは編集企画!! イェイ。
でも本の「目次」の構成、目次のレイアウトは大好き、わりと得意でした。
(それ以前に勤めていた代理店や雑誌社では、ちゃんとレイアウト作業はしていたのですよ。
「装幀」じゃないからできたんです。)
ですので、企画・編集・制作はいいのですが、予算の都合で装幀までしなくてはならないときは苦痛、嫌でした。
そのころ長尾さんは精興社に勤められていて、それと別に装幀の仕事をされており、いつも超多忙。
歯医者に行く時間もないようで、前歯がないときもありました。
・・・いや私らしくなく、昔話みたいなことを書いてしまっていますが、ほんとーっに編集仕事は楽しくてね~ ~。
でも、長尾さんに装幀をお願いした記憶がない! ううむ・・・。
たぶん、他の人が担当の本の装幀をされていたのだと思います。
出版社を辞めて15年位後、本六を開店して、少し経ってからのこと、
何やらモノがいっぱいで膨らんでいる紀伊国屋の布バッグを肩にかけたお客さんがいらした。
お店の棚を逐一ご覧になり、さらにグングンとオフィスの中まで入ってこられ、
勝手に本を抜き出すお客さんに、「あ、いらっしゃいませ」、と言ったら、
その方は、「ナガオだよっ 」と、おっしゃった。
やれやれです。
やっぱり、私はあんまり変わってなかったんだと思いました。あのころと。
・・・・・
実は私は、「本は読めればいい」派です。
だから、本六の本には白濁色のカバーなどは被せてありません。
でもね本当は、装幀なんかどうでもいい、というのではないです。
むしろ装幀にこだわる時間もなかった。
「読むだけに集中するしかない」、と言い換えましょう。
今回、長尾さんの作品集を拝見し、
著者に敬意をはらい、内容を的確に表現し、目にも嬉しくきちっと整えられた装幀、
「必要なり」、と納得します。
本文用紙・見返し・表紙・背・カバー・函・帯・スピン・・・、
印刷・造本。様々な要素で本は構成されています。
本の素晴らしさを伝えてくれる装幀とは、
特殊な総合的なデザインともいえましょう。
そんなことを改めて確かめられたこの一冊、
じっくり見られた連休に感謝し、これからもきっと、時々開いて眺めたいです。
そしてもちろん、高麗さん=長尾さんの、新たな装幀本もたくさん拝見したいです。