ゲバラの旅を読む夏 ホットケーキが焼けるまで⑫

2010年8月6日

夏といえばビールじゃなくて夏休み、夏休みは長い→身軽に旅に出られる→私の趣味は旅=だから夏が好き!! …という構図は今年に限っては当てはまらず、老猫介護も加わって、旅には出られないのです。

シープさんはフランスから帰国し、モーニンとイブニンからもハガキが来てます。うらやましいなぁ。 と書いたけど、でも、私だって旅に出ちゃったのです。それもあの南米大陸へです。スケールでかい!

そう、旅は旅でも映画の中でです。「イージーライダー」から「ロード・オブ・ザ・リング」まで、私は幅広い、ロードムービーのファンでもあります。

1952年。23才の医学生エルネストは、6才年上の親友、生化学者のアルベルトと共に中古バイク「怪力号」でブエノアイレスを出発、大陸の横断旅行に出かけたのでした。 私も同乗。いやはや、実に身のある旅でした。

アルゼンチン、チリ、ペルー、リマ、世界遺産のマチュピチュにも立ち寄りました。そのころにはすでにバイクはぶっこわれて、テントも失い、砂漠も徒歩です。とほほ。 エルネストはハンセン氏病を専門としていました。ペルーのパルシェ医師を訪ね、衣食、お金、思想を与えてもらった二人は、医師の紹介でアマゾンのサンパブロ療養所に向かい、ボランティアとして熱心に働いたのでした。

未知の国々、搾取され土地を追われた先住民との出合い、共産主義者との出合い、川によって隔離されているハンセン氏病者たち、広い世界は様々な矛盾に満ちていました。 この旅がひとつのきっかけとなり、その後、喘息の持病を持ち、ダンスが苦手な医師エルネストは革命家の道を歩み、チェ・ゲバラになるんですね。

「ゲバラ日記」を読んだことがありますが、ゲバラは日々の記録を欠かしませんでした。科学者らしい的確な日記でした。

この映画「モーター・サイクル・ダイアリーズ」は、遺された日記を元に、彼らの足取り通りに辿っています。ずっと見たかった映画でしたが、運良くDVD1枚100円サービスディに在庫していて借りられました。二回も見ました。南米横断50円、安い!感激! 70年代、イギリス土産にゲバラのシルク印刷ポスターを買ってきたことがあります。有名な、あの強烈な顔のポスターです。 映画の最後に旅で撮られた23才当時のゲバラの顔が写し出されていますが、まったく変わらず、プチゲバラ、という風貌。老けていたんですかね。

アマゾンの川を特製筏(その名は「マンボタンゴ号」)を漕いで帰還する時代ですから、青年も老成せざるを得なかったのでしょう。日本の昔の人たちも、若いころから立派な風貌をしていますね。

リマ、ペルー、マチュピチュ。私が訪れることはないけれど、おそらくヨーロッパ人よりはDND的に近いかもしれない南米大陸。懐かしささえ感じます。 エルネストは旅の中にあって時折、詩を口ずさみます。ロルカ、ネルーダの一節です。その言葉は厳しい風土に共鳴して美しく響いてきます。 ロマンチストのゲバラが詩を唱えることには真実味があります。

というか、革命家というものは最も言葉を基調としている職業なのかもしれません。 いろいろな発見がふり、私にとっても、夏休みにぴったりの旅体験でした。

 

夢の中でいいから、いつか、キューバという国を訪れてみたいです。

 

へたっていたきよちゃんは、手厚い介護のお陰か、お刺身定食のおかげか、冷水清拭のおかげか、ひさびさの15分間単独自由外出で、蝉を捕らえるほど回復しています。 また塀の上を歩けるなんて、と自分でも意外だと、目を丸くするきよちゃんです。

 

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