庭の拡大と縮小      [ホットケーキ65]

2012年9月1日

 

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庭について考えてみた。

 

庭は好きでない。囲まれているのが嫌です。

でも、地域によりますね。北米に住む知人は、家の周囲、「一山まるごと」所有しているそうです。

うらやましい気もしますが、そういう単位でしか土地を入手できないのだそうです。そういうのは、ここでは庭とはいいがたい。

私がイメージするのは、まず日本・関東・東京の「庭」です。

この地域の庭はせいぜい、ニワトリ(ダジャレではありません)を放し飼いできるくらいの広さではないでしょうか。

結局は箱庭。不動産です。

 

先日、植木屋さんに庭木の手入れをしてもらいました。

家屋の周りの余分な部分、ノリシロみたいなうちの狭い庭ですが、塀に沿って木が何本か植えてあり、

今夏の激烈な日差しに、木々はくすんでいました。枝は伸び、葉もそれなりに茂っていますが、哀しげな風情。

手入れを頼むのが時期的に半月くらい遅れてしまっていたからです。

 

「雨が降らないから、水をやった方がいいのですよね? 」と植木屋さんに尋ねたら、「このままでいいんじゃない。じっと耐えているんだから。ちょっと(水を)やったりすると、もっと欲しがるようになる」と教えられました。

庭木たちは、この夏、耐えていたのでした。

私も以前は、ホースで時々は水を撒いていたのです。そのころはそれが当たり前の楽しみみたいでした。

この夏は家にこもっていて、時間はあったのに庭木に水をやらなかった。

 

そういえば、春からろくに庭を観もしなかったんだな。

「庭番」の猫きよちゃんが、二年ほど前から隠居し、すっかり家猫になり、毎日、庭をガラス戸越しに眺めて暮らしていましたが、とうとうこの四月に亡くなってしまいました。それからは、家の庭は、無きにひとしかったのです。

 

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家主はそうであっても、こんな小さな庭にも植木屋さんが半日かけて手入れをしなくてはならないくらいの、

生命が蔓延しているのでした。

玄関の横のスペースには、鳥が種を運んできて自然発生した桑と千両が今年も茂っていました。

地には雑草やどくだみが繁殖し、梅が杏が実を落とし、竹がまっすぐ伸びている。

雨降りの翌日には水瓶にたまった水を鳥や猫が飲みに来る。

壁と木の空間にみごとに巣を張る蜘蛛、落ちた実をたべる蟻たち、一昔は蛇やモグラの姿も見たことがあります。

 

今、ゆらゆら太陽に向かって伸びていた枝が調整され、すっきりしています。

やがて枯れ葉をすべて落として衰えたかと思うと春爛漫と生きかえる。毎年復活する。

木は旅に出られない。移動できない。猫みたいに、犬みたいに、カタツムリみたいに、カマキリみたいに蜘蛛みたいにお魚みたいに、人間みたいにウロチョロできない。

太陽に水分を奪われてカラカラになり水やりもしてくれもらえなくても、また反対の風雨にも、

ただじっと立って、耐えている。すごいな。本当に。だから、木をいじめたりしたくない。水をやろう。

明日明後日には、小雨も降るようです。

 

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庭を、限りなく拡大していくのがいいと思う。

洞爺湖も大歩危も十和田湖も仙石原も志賀高原も、戦場ヶ原も陸中海岸も阿蘇山も奥入瀬も知床も、

みんな私の庭の延長だ、というふうに。

 

わざわざそんな遠くに行かずとも、近くの川を、私はとても気に入っています。

人家の間で、無防備にさらされながら流れ続けている小さな川です。

土木課が定期的に土砂を平らに整え、川底を整理し小ざっぱりさせても、月日が経つと草がぼうぼう伸びてきて、

ビオトープみたいな凹凸を造成してしまう。

川面に緑の藻みたいなものが漂いはじめ、濁ったり透明になったり、水位が低くなったり高くなったりと、

川の様子が変わらない日はありません。

そんな川で、鴨たち、生き物たちはどうもきちんと固有の時間割で動いているようです。

先日は亀も泳いでいました。

 

私にはわからないけれど、良くないものも流れてくるのでしょう。いろんな死んだものなどもきっと流れているのだと思う。

でも、鴨や名前がわからない水鳥(アジサシ?)たち、今朝もお尻を上に出して、何かを漁っていました。

朝夕、通るごとに橋の上から川をながめることは、水という命の源泉を垣間見ることでもあります。

川面からすーっと視界を上げていくと、そこには今夜もお月様。

 

  いく河の流れは絶えずして しかももとのみずにあらず

 

鴨長明「方丈記」! 
本当にその通りです。

 

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「ベティブルー」というすでに古典的な恋愛映画の中で、恋人が山の頂上にベティを車で連れて行って、

バースデイケーキを片手に、見えるすべての景色を君にプレゼントする、みたいな粋なことを言っていました。

好きなシーンですが、でも、誰かにプレゼントされなくても、誰もがすでに持っている。巨大な庭を。

そして、ヒトだけの所有ではなくて、「みんな」のものなんだね。

 

ニホンカワウソが30年も目撃されなくて、とうとう絶滅動物になってしまった。

夜、出没したゴキブリをやっつけて、なんでゴキブリが太古から生き残っていて、ニホンカワウソが絶滅しちゃうのか、と思ってしまったな。

生き物は毎日発見され、ヒトに便宜的に名前をつけられて分類されている。

なおかつ毎日、生き物は絶滅もしている。

ヒトだけは絶滅しないのだろうか。はたして。

 

   いく河の流れは絶えずして かくもかがくのもとにあらず

 

南海トラフ巨大地震の被害予想なども出てきました。しょせん「庭」は管理できないものですね。

月がきれいに見える限り、庭の不思議はヒトの科学では解明されないことばかりです。

 

 

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